虎の威を借る狐たち

学歴や会社の知名度、そういうものに固執する弱い僕達

書評:「モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書」を読んで

こんにちは。

 

10月も中旬ですね。

就職活動が一段落して、はや四ヶ月経ちました。

 

僕は修士1年の夏から就職活動をしていたので、およそ一年くらいやっていました。

あの頃の僕は、特別な自分になりたくて、世間で賞賛されるような人間になりたくて、

とにかく躍起になっていたと思います。

 

小学校、中学校、高校と与えられた課題をこなし、そこそこの成績をおさめ、

大学、大学院に進み・・・

 

このまま順調に行けば、大企業にでも入って、昇進して、結婚でもして、定年して・・・

そんな人生が「当たり前」だと思っていました。

でも、どこかでそんな人生が嫌で、変わりたいとも思っていました。

 

だから僕は、人生のレールの最終地点ともいえる「就職活動」において、最後に悪あがきをしました。みんながすごいっていってもらえるような、クリエイティブで、先進的で、最高な、そんな会社に入りたい!そこで、最高な自分になりたい!

 

みなさんもお気づきの通り、こんな付け焼き刃で浅はかな考えの人を、会社は受け入れるでしょうか?嫌ですよね。僕も、こんな奴と一緒に働きたくありません。

 

一通り就職活動を終えて振り返ってみて、やっと馬鹿な僕でも分かるようになったんです。自分はなんにも努力してこなかったんだと。「生き方」という、一番大事な軸について真剣に考えてこなかったと。

 

僕はどう生きたいのか?

何が楽しいのか?

何が面白いのか?

何が嫌なのか?

何が好きなのか?

 

もちろん、就職活動でも形式的にはこんなことを考えました。

でもそれは結局、就職活動のために作られた自己像でした。

今なら言えますが、自分の人生についてそれまで真剣に考えたことの無かった人が、就職活動で急にそんなことを考えても、ほとんどの場合取り繕ったものだと思います。

 

だって、内省なんてしたことないから。

テスト勉強と同じノリで、とりあえず自己分析の設問を埋めることに躍起になる。

全部終わったら、「長かった〜」といって背伸びして、テレビでも見始める。

 

そんな「自己分析」にどれほどの意味と価値があるのでしょう?

 

話がそれましたか、就職活動が終わってから僕は、改めて自分の生き方について考える時間的余裕を得ました。

毎日、本を読んで考えることを繰り返す内に、僕の中で考え方が少しづつ変わっているのを感じます。この価値観の変動が、本に感化を受けたことによる一時の揺らぎなのか、それとも今後も続いていくのかは自分でもよく分かりません。

 

でも一つ言えるのは、いくつかの習慣が変わりました。

そしてそれは、就職活動を終えて4ヶ月たった今でも、ほそぼそとですが続いているということです。いつもは、どんなに奮起しても3日で終わるのにも関わらずです。小さな小さな変化ですが、これは僕の価値観の変化が、僕の世界を変えた確かな証だと思うんです。

 

 

 

さて、最近、一冊の本を読みました。

尾原和啓さんの「モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書」という本です。

www.amazon.co.jp

 

この本は、

さとり世代、ゆとり世代と揶揄される年代の若者たちを「乾けない世代」と再定義し、それ以前の戦後なにもなかった環境から這い上がった「乾いた世代」と対比させ、そのモチベーションの違いを分析した著書です。

 

僕が就職活動を通し感じていた「働くこと」へのもやもやを、非常に上手く言語化していると夢中で読み進めてしまいました。

 

彼らは『ないものがない』だから『乾けない』。でも、上の世代は『ないものがある』こと至上主義だから噛み合わない

 

そうなんですよね。僕らには『ないものがない』んです。

日本という安全な国で、物に囲まれて、どんどん新しいものが開発されて。

暮らしていくに最低限の物は買えて、たまに遊んだりする余裕もあって。

 

そんな中で、自分たちが頑張る必要を見いだせない。

頑張らなくてもそこそこ幸せでいられる。

頑張ることで、今の日常を壊してしまうのが怖い。

周りは頑張ることに対して冷めた目をむける。

 

いろんな理由はありますが、そうした環境に慣れた僕には、

講演会でたまに話を聞く著名人の方々の話はどれも「異世界」でした。

 

戦後、日本には何もなかった

その当時はネットなんてなかった

一からサービスを作っていった

 

 こんな話を聞くたびに、言ってはなんですが「また武勇伝か」と思いました。

なにもないってことは、どんどん新しいことに挑戦していける余白があるということであり、そこにはたくさんのチャンスが眠っていたということです。

 

でも、今僕たちが生きている世界は、いわば「資源を取り尽くされた後の海域」みたいなもので、たくさんたくさん掘り返してようやく小さな財宝を一つ見つける、みたいな状況だと思うんです。

 

だから、正直僕は彼らが羨ましかった。

「乾くことに乾いている」というのが一番近い表現かもしれません。

 

僕たちは、たしかに「ゆとり世代、さとり世代」なんて言われるように、覇気がなくて、欲もなくて、根性もないように見えるかもしれません。

 

でも、僕たちだってなんにも感じてない訳ではないんです。

何かに没頭し、やりがいをもち、生涯をかけて取り組めるようなモノに出会いたいと、

心から渇望しているんです。

 

でも、それが上手く言えない。

甘い考えだと言われる。皆我慢していると言われる。

仕事は辛いものだと言われる。

 

それはわかっています。どんな仕事も楽しいばかりではないということ。

けど、仕事の先の先の、大目標というのでしょうか、

見通す先に自分が本当に望むものがあるからこそ、人は頑張れるんじゃないでしょうか。

 

だから僕は、それを早く見つけたい。

見つけた時こそ、僕はこの人生に「没頭」できると思うのです。