虎の威を借る狐たち

学歴や会社の知名度、そういうものに固執する弱い僕達

結果に良し悪しはない、決めるのは自分

 

皆さん、こんにちは。

真山太郎です。

 

6月も中旬にかかり、就活の波をピークを過ぎた頃でしょうか。

無事、企業からの内々定を受けて残りの学生生活をエンジョイし始めた人も入れば、まだまだ続く就活にため息を落とす方もいるでしょう。 

 

 色々な企業から落とされると、とっても落ち込みますよね。

 

  • 自分はこんなに出来ない人間だったんだ。
  • 同期はあんなにいいところに内々定をもらってるのに、自分はまだどこもない。
  • 例え内々定をもっていたとしても、あいつの企業の方が年収高い。
  • 俺はあいつより劣っているのか。

 

 なんて具合に。

でもこんな考え、窮屈ですし、必要以上に自分を苦しめることになっちゃいませんか?

もっと肩の力を抜いて、自分の視野が狭くなっていることを自覚しましょう。

 

上の例に挙げたように思ってしまう人は、自分の中に一つの絶対的な尺度しか持っていないケースがとても多いです。この場合の就活における尺度は、「知名度が高いか、年収が高いか」の2点で決まります。

なので、経営コンサル、商社、デベロッパー、投資銀行外資なんてのはこの尺度で言うと勝ち組中の勝ち組になるわけです。

当然、ここに内々定をもらったなんて周囲に言った日には、羨望の眼差しが向けられます。「◯◯さんって、優秀なんですね!」「お前すごいな」「かっこいい!」

 

周りの評価はうなぎのぼり。学校の就職実績にも乗って、鼻高々。親戚も諸手を挙げて褒めそやす。ああ!俺って最高!!就活がんばって、よかった〜!!

 

…そして、そういう一部の人たちを見ながら、辛くも大手企業に入ることの出来なかった人は色々な言い訳をして自分を慰めます。

  

  • あそこは激務だし、離職率も高い
  • ライフワークバランスはこっちの方が充実してそう
  • 業務内容はこっちの方が興味がある
  • 成長できる環境は圧倒的にこちらだ 

などなど。

 

・・・でも、そういう人でも、やっぱり今までの学生生活で植え付けられた尺度の影響からは完全に抜けられず、ふとした瞬間に自分の選択肢を不安に思ってしまう訳です。

 

  • 世間はやはり知名度や年収を重視するものだ
  • 周りから、「あいつは就活に失敗してあの程度の会社にしか入れなかったのか」と思われるのか嫌だ
  • せっかく勉強していい大学に入ったのに、ここにしか行けなかったのかと思われるのがつらい
  • そうこう考えているうちに、自分の就職先に不安が芽生える

 

特にベンチャーへの就職を決意した学生は、親などからの反対もあって、どんなに固く決意した気持ちも揺らいでしまいそうになります。怖くて不安で、みんなが間違いないとする安全ルートへの未練を断ち切れないのです。

 

毎年この時期になると、ベンチャーに就職した学生が自分の就職先について述べる記事がfacebookに投稿されているのを目にします。彼らは彼らなりに、自分の決意を揺らがせないようにするために精一杯奮闘しているんだな、と感じます。

 

僕はそういう人を、実は就職活動を始めるまで冷めた目でみていました。

 

「ああ〜こういう、夢見ちゃってる系が一番痛いよな。ベンチャーなんて博打要素でかいし。給料も低そう。こういう人が、30代40代になって転職出来なくて、幻想から覚めて絶望するんだろうな。」

 

なんて具合です。でも、就職活動を始めて気づいたのは、

幻想を見ていたのは他ならぬ僕だったという事でした。

 

大手企業isGOD信仰

 

僕は、大手企業に入れば、「普通」よりちょっと上の人生を確実に得られると思っていました。ネットを見れば、もちろん大手企業といえど潰れる時代、なんて知っていましたし、親にも「大きな会社だからって安心できないよ」っと何度も言われました。

 

でも、やっぱり僕は大手企業に入りたかったのです。

大手企業が潰れるリスクより中小企業が潰れるリスクの方が圧倒的に高いし、

給料も待遇も良いし、むしろ大手企業を目指さない人の意味が分かりませんでした。

 

storys.jp

 

こういう記事を探して読み漁っては、

ベンチャーに行くと痛い目見る。大手にいくことが大事」

 

なんて思っていました。

確かにベンチャーに行くことは、大きなリスクを伴うことも事実です。

でも、じゃあみんながみんな大手企業に行けば幸せなのか、というとそうじゃありません。

 

僕は、OB訪問を重ね、大手で絶対に潰れないと言われている会社に務め、高待遇を受けている社会人にたくさん会いました。そして次第に、大手に勤めて高待遇を受けている人でも、思ったより幸せそうじゃないという事に気づきました。

 

なんていうか、皆疲れているんです。

採用担当の若い社員さんは、皆はつらつとしていますが、

上の方にいけばいくほど皆さん、なんとなく疲れています。

 

諦めているといった方がいいかもしれません。自分の人生を受け入れて、残りを精一杯生きようと思っている感じでした。なぜなんだろうか?

 

どんな会社であろうとも、自分を何者かにはしてくれない

 

僕はずっと考えていたんですが、そういう諦めというのは、

自分の時間を自分のために使わなかった後悔からくるんじゃないのかなと思い至りました。

会社は、創業者が理念を抱き、ある社会的貢献を目的として作られたものです。

ですので、そこで働く人は、その創業者の思いを実現するために働いています。

 

簡単に言ってしまうと、他人の夢を大きくするお手伝いをしてお金を得ているんです。

どんなに仕事を頑張っても、得られた成果は「あなた」でなくあなたの勤める「会社」が享受することになります。

 

僕達は、自分の与えられた時間を他人に貸し与えることで、お金を得て、生きているんです。

自分の与えられた一度きりしかない人生の時間のほとんどを、他人のために使って生きたとしたら、後悔もしませんか?

 

お金よりもずっとずっと大事な物、それが時間なんです。

 

人は、お金を浪費するのは躊躇するくせに、時間を浪費することは気にしません。

命は時間の積み重ねです。命はお金で買えないのに、時間をお金で変えているんです。

 

自分はどう生きたいのか?何をしたいのか?常に考え、舵を取れ

 

勘違いしてほしくないのが、勤め人が駄目と言っている訳ではありません。

ただ、他人のために只時間をお金に変えるのではなく、しっかりとした目的意識をもって、自分のために今何が必要かを、常に考えて働くべきだと思います。

 

 まだまだ若いうちに、飛び出しましょう。若くて健康なうちに、心からなりたいと思う自分になれるよう、最適な会社はどこかを考え続けてください。それは誰にもわかりません。あなただけが決められるものであり、可能性はいくらでもあります。

(引用:就活生へ捧ぐ、ベンチャー企業に入ろうしていた私が大企業に入った理由)

 

心からなりたいと思う自分は、きっとベンチャーに入ろうが、大手企業に入ろうがそのままなれるものではありません。自分の指針に向かって自ら選び取っていくことで、今は見えてない、自分だけの道が見つかるんだと思います。

 

僕もまだ見つけられていませんが、

心からなりたいと思う自分に少しでも近づけるように、進んでいきたいです。

 

未来の僕や今苦しんでいる人が、辛い時、悲しい時、自分がわからなくなった時に、この記事をよんでほしい。そう思って、エールを込めてこの記事を書きました。

 

どんな結果にも良し悪しはない、決めるのは自分です。

 

真山太郎