やらないことを決める
6月に就活を終えてからというもの、僕はずっと就活の最中に感じたもやもやについて考えていました。
それは、世間の一般常識を疑わず思考停止していた僕にとって、初めての価値観の揺らぎでした。
それまで自分はずっと正しいと思っていました。
自分の生き方こそが、王道で、幸せになれるんだと思っていました。
みんなが自分と同じように生きていて、それが「普通」だから「安全」。
学生で起業したとか、ベンチャーに入ったとか、そういうのは一部の「頭のぶっとんだ、リスクを顧みないヤバイ人」。
実名でブログやったりyoutubeで顔出ししている人は「ネットリテラシー低めの馬鹿」
twitterとかInstagramで必死こいて投稿しているのは「自己顕示欲丸出しの痛い奴」
大学中退なんて「おちこぼれ」
自分は安全な所にいて、そうした人たちを遠目からみて冷静に分析している常識人だと思っていました。
でも、本当はわかっていました。
そういう恥ずかしいこと、痛いこと【=リスク】を取ることでしか、自分の望むような結果はついて来ないということ。それに気づいて、行動できるかが重要なのだということ。
気づいていながらそれまでの考えを捨てられなかったのは、
簡単な理由です。周りも皆「常識人」的な考えの人しかいなかったから。
類は友を呼ぶ。
凝り固まった「常識人」には、同じように凝り固まった「常識人」が集まっています。
僕の場合は、両親が「常識人」でしたから、幼いころから「常識」を学びました。
学校は行くもの
有名な大学に行くことが一番良いこと
良い大学に行くと就職に有利なこと
大企業に入ると安心だということ
結婚はするもの
60歳で定年すること
平和であること
平等であること
頑張れば必ず報われること
勉強は学校の試験のためのもの
勉強はつまらない
つまらないことでもやらないといけないこと
仕事はつまらないこと
仕事は義務だということ
お金は大事でないということ
真面目に働いていけばお金に困らないということ
日本が世界の中心だと思うこと
少しでも分別のある子どもだったら、
「それって本当にそうなの?」って、疑問に思うでしょう。
けれど僕は「いい子」でした。
言うなれば親や周りの意見を素直に聞く、「思考停止キッズ」でした。
親を責める気は毛頭ありません。
彼らは自分の人生を生きているだけです。
僕が勝手にその人生こそが常識なのだと信じて疑わなかっただけなのです。
両親の人生を模倣しようと思っていました。
人生の模倣というものは、価値観の模倣です。
よくわからないまま、考えないまま、他人の「価値観」に合わせて自分の人生を生きようとしていた。
そのことが、就職活動を通してわかったのです。
これが、僕だけのことなのか、それとも多くの学生にとっても起きていることなのかは分かりません。気づいてしまった自分の未熟さを、周囲にさらけ出す勇気がありませんので、周りがどう思っているかもわからないのです。
僕と同じように悩んでいる人がいるかもしれない。
その一方で、とっくにそんなことみんな考え終わっていて、今更かよ、と冷めた目で見られることが怖い。
あるいは、逆にそんなこと全く考えていなくて、なに青臭いこといってるんだ、と思われるのが嫌だ。
どちらにせよ、周囲に喋ることによって、マイナスな影響しか起きないような気がするのです。
考えてみれば、僕と僕の周りは、いつも表面的な会話しかしていませんでした。
誰それが誰それと付き合っただの、別れただの、結婚はいつだの、漫画の展開の話だの、、、、
働くとは何か、どう生きることが自分の幸せか、なんて話は、タブー視していました。
政治や宗教と同じ、他人が踏み込んではいけない聖域だから、と。
でも、本当はそういう話を議論すべきだった。
なのにできなかったのは、なぜだろう。
浅い付き合いしかしてこなかったのか。
そうかもしれない。
それか、僕も彼らも、ちゃんと考えて生きていなかったのだろう。
生き方に正解はないけれど、
生き方を自分で考えて選べる環境があるのに、
そうしないのは本当にもったいない。
気づくのがおそかったです。
だからもう時間は無駄にしたくない。
あれもこれも、と手を出すのではなく、
まずはやらないことを決める。
やると決めたことはやり抜く。
言うは易し、行なうは難し。
思いだけでは人は変わらないから、
今は環境作りに、精を尽くしたいと思います。
書評:「モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書」を読んで
こんにちは。
10月も中旬ですね。
就職活動が一段落して、はや四ヶ月経ちました。
僕は修士1年の夏から就職活動をしていたので、およそ一年くらいやっていました。
あの頃の僕は、特別な自分になりたくて、世間で賞賛されるような人間になりたくて、
とにかく躍起になっていたと思います。
小学校、中学校、高校と与えられた課題をこなし、そこそこの成績をおさめ、
大学、大学院に進み・・・
このまま順調に行けば、大企業にでも入って、昇進して、結婚でもして、定年して・・・
そんな人生が「当たり前」だと思っていました。
でも、どこかでそんな人生が嫌で、変わりたいとも思っていました。
だから僕は、人生のレールの最終地点ともいえる「就職活動」において、最後に悪あがきをしました。みんながすごいっていってもらえるような、クリエイティブで、先進的で、最高な、そんな会社に入りたい!そこで、最高な自分になりたい!
みなさんもお気づきの通り、こんな付け焼き刃で浅はかな考えの人を、会社は受け入れるでしょうか?嫌ですよね。僕も、こんな奴と一緒に働きたくありません。
一通り就職活動を終えて振り返ってみて、やっと馬鹿な僕でも分かるようになったんです。自分はなんにも努力してこなかったんだと。「生き方」という、一番大事な軸について真剣に考えてこなかったと。
僕はどう生きたいのか?
何が楽しいのか?
何が面白いのか?
何が嫌なのか?
何が好きなのか?
もちろん、就職活動でも形式的にはこんなことを考えました。
でもそれは結局、就職活動のために作られた自己像でした。
今なら言えますが、自分の人生についてそれまで真剣に考えたことの無かった人が、就職活動で急にそんなことを考えても、ほとんどの場合取り繕ったものだと思います。
だって、内省なんてしたことないから。
テスト勉強と同じノリで、とりあえず自己分析の設問を埋めることに躍起になる。
全部終わったら、「長かった〜」といって背伸びして、テレビでも見始める。
そんな「自己分析」にどれほどの意味と価値があるのでしょう?
話がそれましたか、就職活動が終わってから僕は、改めて自分の生き方について考える時間的余裕を得ました。
毎日、本を読んで考えることを繰り返す内に、僕の中で考え方が少しづつ変わっているのを感じます。この価値観の変動が、本に感化を受けたことによる一時の揺らぎなのか、それとも今後も続いていくのかは自分でもよく分かりません。
でも一つ言えるのは、いくつかの習慣が変わりました。
そしてそれは、就職活動を終えて4ヶ月たった今でも、ほそぼそとですが続いているということです。いつもは、どんなに奮起しても3日で終わるのにも関わらずです。小さな小さな変化ですが、これは僕の価値観の変化が、僕の世界を変えた確かな証だと思うんです。
さて、最近、一冊の本を読みました。
尾原和啓さんの「モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書」という本です。
この本は、
さとり世代、ゆとり世代と揶揄される年代の若者たちを「乾けない世代」と再定義し、それ以前の戦後なにもなかった環境から這い上がった「乾いた世代」と対比させ、そのモチベーションの違いを分析した著書です。
僕が就職活動を通し感じていた「働くこと」へのもやもやを、非常に上手く言語化していると夢中で読み進めてしまいました。
彼らは『ないものがない』だから『乾けない』。でも、上の世代は『ないものがある』こと至上主義だから噛み合わない
そうなんですよね。僕らには『ないものがない』んです。
日本という安全な国で、物に囲まれて、どんどん新しいものが開発されて。
暮らしていくに最低限の物は買えて、たまに遊んだりする余裕もあって。
そんな中で、自分たちが頑張る必要を見いだせない。
頑張らなくてもそこそこ幸せでいられる。
頑張ることで、今の日常を壊してしまうのが怖い。
周りは頑張ることに対して冷めた目をむける。
いろんな理由はありますが、そうした環境に慣れた僕には、
講演会でたまに話を聞く著名人の方々の話はどれも「異世界」でした。
戦後、日本には何もなかった
その当時はネットなんてなかった
一からサービスを作っていった
こんな話を聞くたびに、言ってはなんですが「また武勇伝か」と思いました。
なにもないってことは、どんどん新しいことに挑戦していける余白があるということであり、そこにはたくさんのチャンスが眠っていたということです。
でも、今僕たちが生きている世界は、いわば「資源を取り尽くされた後の海域」みたいなもので、たくさんたくさん掘り返してようやく小さな財宝を一つ見つける、みたいな状況だと思うんです。
だから、正直僕は彼らが羨ましかった。
「乾くことに乾いている」というのが一番近い表現かもしれません。
僕たちは、たしかに「ゆとり世代、さとり世代」なんて言われるように、覇気がなくて、欲もなくて、根性もないように見えるかもしれません。
でも、僕たちだってなんにも感じてない訳ではないんです。
何かに没頭し、やりがいをもち、生涯をかけて取り組めるようなモノに出会いたいと、
心から渇望しているんです。
でも、それが上手く言えない。
甘い考えだと言われる。皆我慢していると言われる。
仕事は辛いものだと言われる。
それはわかっています。どんな仕事も楽しいばかりではないということ。
けど、仕事の先の先の、大目標というのでしょうか、
見通す先に自分が本当に望むものがあるからこそ、人は頑張れるんじゃないでしょうか。
だから僕は、それを早く見つけたい。
見つけた時こそ、僕はこの人生に「没頭」できると思うのです。
10月は内定式
久々の更新になります。
6月からはやいもので、もう4ヶ月も経ちました。
時間の流れはあっと言う間ですね。
この4ヶ月は、本を読んだり、勉強したりと大忙しな期間でした。
すでにこの4ヶ月で、読書量は大学4年間を越えるんじゃないかなと言う感じです。
(大学でいかに勉強していなかったかがよくわかります・・。)
あれから、結構僕の中で思考の変化が起きました。
もちろん、自分の思うように生きたい、という気持ちは変わらないのですが、
学歴や知名度は、生きていく上でも、一つの考慮すべき指針だということを認められるようになりました。
それ単体は悪いことじゃないのです。
かっこわるいのは、
全然中身のともなっていない人。
プライドばかり高くて、使えない人。
中身もなくて、学歴に対する中途半端な自信とコンプレックスがある人。
そう、これが僕です。
もっというと、授業をこなすばかりで、もっと広い視野で物事を見ていなかった。与えられた課題をこなすことばかりで、自分で本当に頭を使って考えることをしていなかった。自分の人生を真剣に考えたことがなかった。いつも言い訳をつけて、やりたいことから逃げていた。(これにかける時間はない、などと)
そんな自分に、僕は今とても後悔しているんです。
今の大学院に進学するときも、周りが皆進学するから、という理由でしか考えていませんでした。別に研究はそんな好きでもなかったし、周囲も同じノリだったから。
でも、今になると思うんです。
どうして、そうなりたいと思わない周りの生き方なんかを、模倣してたんでしょう?
別にサラリーマンになりたいわけでもないのに、そういう人のアドバイスを聞いて。
適当に研究するなんてアホらしいと思いながら、そういう人たちを真似して。
そういう研究室を選んで。(楽そうだから)
時間は有限で、とっても貴重なものなのに。
僕は大学で、大学院の計6年間で。
授業はいっぱいとってたし、テストに向けて勉強もしました。
でも、本当の意味での勉強なんて、ついぞしてこなかった。
恵まれた時間を与えてもらったのに、
それを理解したつもりだったのに、
本当のところ理解できていなくて、
自分の失敗を認めたくなくて。
でも、たくさん本を読んで、周囲の話を聞くうちに、
ああ、自分は失敗したな。
阿呆だったな。と認めることができるようになりました。
そして、できることなら、もう二度とこんな失敗をしたくないです。
努力という時間を的外れなことに使いたくない。
小手先の雑事も追われたり、資格をとっても根本的な解決にはならない。
もっと遠くまで見通した時に、その行為が自分の未来とつながっているのだろうか。
今はそんなことを考えています。
成りたい自分になるために
こんにちは。真山太郎です。
このブログのタイトルである「虎の威を借る狐たち」とは、学歴や会社の知名度など、所属するグループの威光によって自尊心を保とうとする、僕のような人を指します。
僕は教育熱心な親に育てられ、中高と進学校に進み、そこそこの大学に入りました。特に目立ったような所も無く、導かれるままここまで来ました。自分の人生について何ら疑問を持つこと無く、親や先生の言うことをきちんと聞いてちゃんと勉強すれば、将来安定した収入を得ることが出来て、社会的地位のある、立派な大人になれると思っていました。
でも、就職活動をしながら、様々な本を読んだり人の話を聞いたりするうちに、どうやら流されるままに生きても、幸せになれなさそうだぞ、ということに気づきました。
非常に恥ずかしいことなのですが、僕は「いわれた事に従って一生懸命頑張っていれば、きっと人並み以上の幸せを手に入れられるだろう」と思っていました。
もっというと、「世間でいう高学歴な僕は、きっと高水準な生活を送れるだろう」なんて具合に。
でも、当然ながらそんなことないんですよね。
言われたことしかやらない人は、それ以上になりません。僕は、自惚ればかりが大きくて、使えない人間になってしまいました。
どこかで僕は、薄々気づいていました。僕という人間が、何のスキルも経験も持たない平凡な人間だと言うことを。でも、それを有名大学や有名企業に入ることで、打ち消そうとしていたんですよね。
学校・会社がすごい=自分がすごいという図式は誤り
当たり前ですが、学校や会社が凄かろうが、あなたが凄いことにはなりません。
そのグループに所属する一部の凄い人たちの功績によって、その恩恵をあなたがちょっぴり拝借しているだけです。いっちゃえば金魚の糞。それが僕です。
人の目や評価を気にして、僕はこれまで良いとされる道を選んで歩いてきました。その結果、自分を本気で磨くことをせず、外面のアピールばかりに気を取られていました。
人の目を気にして行動しても、何も身につかない
僕は修士1年の時に、資格の勉強をしました。でもそれは、その資格をどう将来役立てようとか考えていたのではなく、純粋に「資格取ったら俺スゲー」くらいの気持ちでした。結果、ミーハー心で受けた試験は一次は通過しましたが二次で落ちました。
人の目によく映ろう、映ろうとすると、軸がブレて、どんなことも持続しないんですね。僕は、中学の頃から、部活すら人の目を気にして選んでいました。本当は漫画クラブに入りたかったんですが、そんなやつは暗く見られるだろうと陸上部に入りました。でも、そんな好きじゃなかったので結局1年程で辞めてしまいました。
そして人の目を気にし続けてきた今の僕には、何も人に胸を張って頑張ったとか好きだといえるものがありません。何にも無いのです。
自分を確立するために
そんなわけで僕は、なにもない自分を打ち消すように、高ステータスな大企業を求め、就活では戦略コンサルやデベロッパーなどを志望して受け続けました。
能力のない、自己承認欲求だけ強い奴なんて、使えないどころかゴミ以下です。
当然僕は、落ちました。
それで、知名度は高くないけど事業内容に興味が持てる会社から、運良く内定を貰うことが出来ました。嬉しい反面、僕はやっぱりまだ知名度や年収を気にしてしまいます。
- 周りはもっといいところに内定を決めたのに。
- 頑張ったってあいつには一生年収で追いつけない。
こう思うたびに、僕は自分が情けなくて仕方ありません。自分の所属する会社がめっちゃ知名度が高くて高収入で、女の子が聞いた瞬間擦り寄ってくるような、ハイパーグレードな会社であれ、と思っているんです。
そうすれば自分にも自信が持てるから。
ただね。例えそんな会社に入ったとしても、いつかは同じ壁にぶつかるのが目に見えていると気づいたんです。良い会社に入って、周りに凄いと言われて、一時は自尊心が満たされたとしても、新しい環境になれるうちに、会社の中の周囲とくらべてまた自信をなくしていくんです。
これはもう環境を変える前に、自分の内面を直す必要がありますよね。
そこで僕は、人の評価の中で生きていくのではなく、自分自身が「自分かっこいい、素敵だな」と思える人間になるために、成りたい自分像について考えることにしました。
目標達成用紙エクセルテンプレート!大谷も使用したシートダウンロード | 心身共に健康をモットーに - BODY & MENTAL.newsman
これはプロ野球選手の大谷選手も使用したものだそうで、高校1年生とは思えないほどしっかりとした目標を立てています。
「流されながら生きてきた僕には、目標なんて立てられないんじゃないか…」と思っていたんですが、思っていたよりたくさんの欲望が出てきました笑
僕が作った目標達成シートはこちらです。中心の黄色いマスが最終目標、そして周辺の青マスが最終目標を達成するために必要な事柄です。
一言で言うとしっちゃかめっちゃか。
留学したり、資産運用したり、サイドビジネスしたり、漫画書いたり、、、
そして、最終目標が「独立独歩の経済的自由人」…
こんなこと、人にいったらコイツは頭おかしい、と思われてしまいそうです。
人に言っても、夢を見るなと笑われちゃいますね。
でも、これを書いているときすごくワクワクしました。この目標を叶えるために、何ができるかということを考えるようになりました。
とりあえず、株の勉強と漫画とTOEICを始めて見ることにしました。
それぞれの最初の目標は、
- 株を買って運用すること
- 漫画は、1作品書き上げてネットにアップロードすること
- TOEICは、今年度中に900点以上採ること
です!ではまた。
結果に良し悪しはない、決めるのは自分
皆さん、こんにちは。
真山太郎です。
6月も中旬にかかり、就活の波をピークを過ぎた頃でしょうか。
無事、企業からの内々定を受けて残りの学生生活をエンジョイし始めた人も入れば、まだまだ続く就活にため息を落とす方もいるでしょう。
色々な企業から落とされると、とっても落ち込みますよね。
- 自分はこんなに出来ない人間だったんだ。
- 同期はあんなにいいところに内々定をもらってるのに、自分はまだどこもない。
- 例え内々定をもっていたとしても、あいつの企業の方が年収高い。
- 俺はあいつより劣っているのか。
なんて具合に。
でもこんな考え、窮屈ですし、必要以上に自分を苦しめることになっちゃいませんか?
もっと肩の力を抜いて、自分の視野が狭くなっていることを自覚しましょう。
上の例に挙げたように思ってしまう人は、自分の中に一つの絶対的な尺度しか持っていないケースがとても多いです。この場合の就活における尺度は、「知名度が高いか、年収が高いか」の2点で決まります。
なので、経営コンサル、商社、デベロッパー、投資銀行、外資なんてのはこの尺度で言うと勝ち組中の勝ち組になるわけです。
当然、ここに内々定をもらったなんて周囲に言った日には、羨望の眼差しが向けられます。「◯◯さんって、優秀なんですね!」「お前すごいな」「かっこいい!」
周りの評価はうなぎのぼり。学校の就職実績にも乗って、鼻高々。親戚も諸手を挙げて褒めそやす。ああ!俺って最高!!就活がんばって、よかった〜!!
…そして、そういう一部の人たちを見ながら、辛くも大手企業に入ることの出来なかった人は色々な言い訳をして自分を慰めます。
などなど。
・・・でも、そういう人でも、やっぱり今までの学生生活で植え付けられた尺度の影響からは完全に抜けられず、ふとした瞬間に自分の選択肢を不安に思ってしまう訳です。
- 世間はやはり知名度や年収を重視するものだ
- 周りから、「あいつは就活に失敗してあの程度の会社にしか入れなかったのか」と思われるのか嫌だ
- せっかく勉強していい大学に入ったのに、ここにしか行けなかったのかと思われるのがつらい
- そうこう考えているうちに、自分の就職先に不安が芽生える
特にベンチャーへの就職を決意した学生は、親などからの反対もあって、どんなに固く決意した気持ちも揺らいでしまいそうになります。怖くて不安で、みんなが間違いないとする安全ルートへの未練を断ち切れないのです。
毎年この時期になると、ベンチャーに就職した学生が自分の就職先について述べる記事がfacebookに投稿されているのを目にします。彼らは彼らなりに、自分の決意を揺らがせないようにするために精一杯奮闘しているんだな、と感じます。
僕はそういう人を、実は就職活動を始めるまで冷めた目でみていました。
「ああ〜こういう、夢見ちゃってる系が一番痛いよな。ベンチャーなんて博打要素でかいし。給料も低そう。こういう人が、30代40代になって転職出来なくて、幻想から覚めて絶望するんだろうな。」
なんて具合です。でも、就職活動を始めて気づいたのは、
幻想を見ていたのは他ならぬ僕だったという事でした。
大手企業isGOD信仰
僕は、大手企業に入れば、「普通」よりちょっと上の人生を確実に得られると思っていました。ネットを見れば、もちろん大手企業といえど潰れる時代、なんて知っていましたし、親にも「大きな会社だからって安心できないよ」っと何度も言われました。
でも、やっぱり僕は大手企業に入りたかったのです。
大手企業が潰れるリスクより中小企業が潰れるリスクの方が圧倒的に高いし、
給料も待遇も良いし、むしろ大手企業を目指さない人の意味が分かりませんでした。
こういう記事を探して読み漁っては、
「ベンチャーに行くと痛い目見る。大手にいくことが大事」
なんて思っていました。
確かにベンチャーに行くことは、大きなリスクを伴うことも事実です。
でも、じゃあみんながみんな大手企業に行けば幸せなのか、というとそうじゃありません。
僕は、OB訪問を重ね、大手で絶対に潰れないと言われている会社に務め、高待遇を受けている社会人にたくさん会いました。そして次第に、大手に勤めて高待遇を受けている人でも、思ったより幸せそうじゃないという事に気づきました。
なんていうか、皆疲れているんです。
採用担当の若い社員さんは、皆はつらつとしていますが、
上の方にいけばいくほど皆さん、なんとなく疲れています。
諦めているといった方がいいかもしれません。自分の人生を受け入れて、残りを精一杯生きようと思っている感じでした。なぜなんだろうか?
どんな会社であろうとも、自分を何者かにはしてくれない
僕はずっと考えていたんですが、そういう諦めというのは、
自分の時間を自分のために使わなかった後悔からくるんじゃないのかなと思い至りました。
会社は、創業者が理念を抱き、ある社会的貢献を目的として作られたものです。
ですので、そこで働く人は、その創業者の思いを実現するために働いています。
簡単に言ってしまうと、他人の夢を大きくするお手伝いをしてお金を得ているんです。
どんなに仕事を頑張っても、得られた成果は「あなた」でなくあなたの勤める「会社」が享受することになります。
僕達は、自分の与えられた時間を他人に貸し与えることで、お金を得て、生きているんです。
自分の与えられた一度きりしかない人生の時間のほとんどを、他人のために使って生きたとしたら、後悔もしませんか?
お金よりもずっとずっと大事な物、それが時間なんです。
人は、お金を浪費するのは躊躇するくせに、時間を浪費することは気にしません。
命は時間の積み重ねです。命はお金で買えないのに、時間をお金で変えているんです。
自分はどう生きたいのか?何をしたいのか?常に考え、舵を取れ
勘違いしてほしくないのが、勤め人が駄目と言っている訳ではありません。
ただ、他人のために只時間をお金に変えるのではなく、しっかりとした目的意識をもって、自分のために今何が必要かを、常に考えて働くべきだと思います。
まだまだ若いうちに、飛び出しましょう。若くて健康なうちに、心からなりたいと思う自分になれるよう、最適な会社はどこかを考え続けてください。それは誰にもわかりません。あなただけが決められるものであり、可能性はいくらでもあります。
(引用:就活生へ捧ぐ、ベンチャー企業に入ろうしていた私が大企業に入った理由)
心からなりたいと思う自分は、きっとベンチャーに入ろうが、大手企業に入ろうがそのままなれるものではありません。自分の指針に向かって自ら選び取っていくことで、今は見えてない、自分だけの道が見つかるんだと思います。
僕もまだ見つけられていませんが、
心からなりたいと思う自分に少しでも近づけるように、進んでいきたいです。
未来の僕や今苦しんでいる人が、辛い時、悲しい時、自分がわからなくなった時に、この記事をよんでほしい。そう思って、エールを込めてこの記事を書きました。
どんな結果にも良し悪しはない、決めるのは自分です。
真山太郎
就職活動を振り返って
皆さんこんにちは。
就職活動を終えられた方も、これからの方もいらっしゃると思います。
2018年卒、理系大学院生の真山太郎と申します。
僕は院1年生の夏から、コンサルのインターン等に参加して就職活動を行ってきました。そう考えると、ほぼ1年弱の就職活動になりますね。
さて、そろそろみなさん「就職活動が終わった」という報告を、SNS等でちらほら目にする機会があると思います。そうなると、気になるのはやはり「就職先」ですよね。
ちなみに僕の就職先は、およそ就活エリートと称されるような外資系でも、コンサルでも、商社でも広告代理店でもありません。専門分野の方でないとあまり耳にしないような、マイナーなところに就職しました。
ですので、このブログは「必勝!!!難関企業からの内定を勝ち取る」といったハウツー記事をご提供できません。そういった内容を期待する方は他所にいってくださいね。
じゃあなにを提供するの?といった声が聞こえてきます。結論から言うと、「就職活動の失敗談」ということになると思います。
おいおい、負け犬の未練たらたらの記事なんて読みたくないよ、と思ったあなた。安心してください、「面接でああいっておけばよかった」「もっとOB訪問すればよかった」とか後悔以外の何の生産性もない振り返りをするつもりはありません。
僕がここでいう「失敗」とは、ひとえに「働くとはなにか」ということについて履き違えていたことです。就職活動をするにあたって一番大事なこの部分が分からないままに闇雲に進んだために、結果として自分を見失ってしまったんだと思います。
会社=脚長おじさんではない
皆さんは希望する会社に対してどういった志望理由を持っていますか?
イケイケの就活雑誌を見ると、「世界にインパクトのある仕事を」だとか、「多くの人々の暮らしを支えたい」とかありますよね。面接の場でも非常によく聞く言葉です。
でも、そうした志望理由はどれも作られた「建て前」ですよね。
本気でそんなこと考えて就職活動をしている人なんて、ごくごく一握りでしょう。
多くの人は以下のようなことを考えて会社を選んでいます。
- 高い年収をもらえること
- 有名企業でみんなからちやほやしてもらえること
- 福利厚生がよく生活に不自由しないこと
- ホワイトで趣味に費やせる程度の時間があること
- 成長させてもらえる環境があること
こんな所でしょうか。
ちなみに、これらの項目を見ると、どれも「会社から与えられるもの」にフォーカスしています。「自分がどうしたいか」よりもまず、「どこが一番自分に良い待遇をもたらしてくれるか」を考えているんです。
どうでしょう。こうして書いてみると実に会社に多くを求めすぎていることが分かりますね。忘れてはいけないのは、会社はあなたの脚長おじさんではありません。
ざくっといってしまうと、あなたは会社の道具なのです。
こういった当たり前のことをつい忘れてしまうと、面接では阿呆みたいなアピールをしてしまうので気をつけましょう。(ああ自分の痛い面接を思い出してしまいました…)
内定を貰うと、その段階であなたと会社の間で契約が結ばれたことになります。
この時、収入=あなたのレンタル料となります。
ちなみに多くの学生は大したスキルも能力もない中で就職していきます。ですから、最近良く聞くのが「ポテンシャル採用」なんて言葉ですね。君のこれからの潜在能力に期待して会社はお金を出すわけです。
将来に保証はない。約束された成功なんてない。
こういうと勘違いする人も多そうですね。
「俺は良い企業に入ったから、凄まじいポテンシャルを秘めている…!」
「私は知名度の低い会社に入ったから、周囲より劣っているんだ…」
正直な話、会社だって、ごく一部のマジモンの就活エリート(留学生、帰国子女、発明家、アメフト部の主将含む)以外は、測定器でも使わない限りは、就活生のポテンシャルを正確に図ることは出来ません。だから多くの人は「有能そう」という印象で取られます。
「有能そう」とは、もっと分解すると以下のような要素から構成されています。
- 受け答えがはきはきとしている
- その場の機転が効く
- 清潔そうな外見
- 人に好印象を与える顔立ち
- マナーが出来ている
- 高学歴
- スポーツをずっとやってきた
- なにかの賞を受賞している
- きgどjしゅごfjhぎおs
- …
あ〜死にたい。
すごいですよね。でもこの項目をほぼ満たしている人って結構いるんですよ。
皆さんはどうですか?ちなみに僕は全然満たしてません。
これらが出来ている人は、世にいう一流企業に就職していきます。
そして、上手く対応できない者たちが、就活ノイローゼになったり、自己嫌悪に陥って命を立ってしまったりする訳です。
彼らの多くは一流企業に入ることで、最高の幸せをゲットして、バラ色の人生を歩むきっかけを得られると信じてはばからないのです。
彼らの考えは以下のようです。
- どんな企業に入っても、おそらく人間関係や仕事で悩むだろう
- だったら、お給料のよい会社で働く方がよい
- 最初の会社が有名であれば、転職にも有利だろう
- つまり、一流企業に就職した方が良い!
こういう思考回路でかつ、それに見合うだけのスキルを持っている人間は、何の問題も無く就職活動を成功させて意気揚々と社会人になっていきます。
で、怖いのはこういう思考回路を持ちつつも、見合うだけのスキルを持っていない人間です。彼らは、自分が「最良」とするルートに固執し、そうでないルートの人を無意識に下に見ています。だからいざ、自分のルートが横道にそれると、それまで下に見ていた人と同じになってしまうという恐怖から、どんどん気持ちを病んでいきます。
見方が凝り固まっているんですよね。
そういう人に僕は声を大にして言いたいと思います。
良い会社に入ったとして、君の幸せは全く保証されていない。
それと同じように、
希望する会社に入れなかったとして、君の失敗もまた全く保証されていない。
良い会社に入って自尊心を得られたとしても、そんなものは一時です。
仕事に追われる毎日は、良い会社に入ったという満足感を徐々に薄めていきます。そして、風の噂で大変そうな他の人の話を聞くことで、自分は全然ましだ、と安心する訳です。
全然まし。
わかりますか?これ。
人と比較して自分の幸せを計っているんですよ。人と比べないと幸せが湧かないんですよ。つまり、こう思う人の多くは、現状に不満を感じています。 そんでもって、そんな人は世の中くさるほどいます。
あなたが成功者だと羨んで仕方ないあの人、その人も、いろんな不満を抱えて生きてるんですよ。それで、その不満を、人と比較することで解消しようとしているんです。
自分の中の満足は、自分の中にしか無い
人から羨ましがられたい、尊敬されたい、褒められたいという思いは、
強すぎるとおかしなプライドと偏った見方を人に与えます。
成果が出る内はまだ良いのですが、どんどん上のレベルへと上がっていくと、
自分の力では通用しなくなっていく領域が必ず存在します。
人生、その我慢比べに負けていくのが、遅いか早いかということだけなんでしょう。
就職活動で挫折した人は、その我慢比べの限界が今まさにこの場所だったんです。
誰しもがぶつかる壁に、今ぶつかっただけなんです。
じゃあもう諦めて希望なく生きるしかないの?
僕は、壁にぶつかるということは、今は良いことのように感じています。
人は、周囲に期待されたり、認められている間は自分を変えることにひどく抵抗があります。だから、上手くいっている時ほど、自分を変えづらくあるんです。
でも、一度そのレールから外れると、人は自分に期待をしなくなります。
あれほど褒められたい、認められたいという気持ちで欲しがっていた人の評価を、欲しくなくなります。
そうすると何が起きるかと言うと、
自分の気持ち、自分の評価に素直になれます。
挫折というのは、自分の人生が本当に望む方向に進むための、軌道修正という風に考えてみて下さい。修正が早ければ早いほど、自分の望む未来により早く近づけます。
最後に、仕事を撰ぶ、生き方を撰ぶ上で大切にしてほしいこと
人には好き嫌い、得手不得手があります。
世間が良いとされる潮流に乗れるような人は、ごく一部です。
メインの流れに乗れなかったと落ち込み、流れの側で佇むくらいなら、
全然違う流れに乗ってみて下さい。
たくさん色々なことに挑戦しながら、
自分が戦っていけるような領域を見つければいいと思います。
どうが、周りの評価に流されず、自分の気持に正直になって生きて欲しいです。
不安で仕方が無い時に、支えてくれるのは「心から感じる好きなこと=自分の気持ち」です。
将来、一緒に笑って今を振り返ることの出来る、大人になりたいですね。