虎の威を借る狐たち

学歴や会社の知名度、そういうものに固執する弱い僕達

10月は内定式

久々の更新になります。

6月からはやいもので、もう4ヶ月も経ちました。

 

時間の流れはあっと言う間ですね。

この4ヶ月は、本を読んだり、勉強したりと大忙しな期間でした。

すでにこの4ヶ月で、読書量は大学4年間を越えるんじゃないかなと言う感じです。

(大学でいかに勉強していなかったかがよくわかります・・。)

 

あれから、結構僕の中で思考の変化が起きました。

もちろん、自分の思うように生きたい、という気持ちは変わらないのですが、

学歴や知名度は、生きていく上でも、一つの考慮すべき指針だということを認められるようになりました。

 

それ単体は悪いことじゃないのです。

かっこわるいのは、

 

全然中身のともなっていない人。

プライドばかり高くて、使えない人。

中身もなくて、学歴に対する中途半端な自信とコンプレックスがある人。

 

そう、これが僕です。

もっというと、授業をこなすばかりで、もっと広い視野で物事を見ていなかった。与えられた課題をこなすことばかりで、自分で本当に頭を使って考えることをしていなかった。自分の人生を真剣に考えたことがなかった。いつも言い訳をつけて、やりたいことから逃げていた。(これにかける時間はない、などと)

 

そんな自分に、僕は今とても後悔しているんです。

今の大学院に進学するときも、周りが皆進学するから、という理由でしか考えていませんでした。別に研究はそんな好きでもなかったし、周囲も同じノリだったから。

 

でも、今になると思うんです。

どうして、そうなりたいと思わない周りの生き方なんかを、模倣してたんでしょう?

別にサラリーマンになりたいわけでもないのに、そういう人のアドバイスを聞いて。

適当に研究するなんてアホらしいと思いながら、そういう人たちを真似して。

そういう研究室を選んで。(楽そうだから)

 

時間は有限で、とっても貴重なものなのに。

僕は大学で、大学院の計6年間で。

 

授業はいっぱいとってたし、テストに向けて勉強もしました。

でも、本当の意味での勉強なんて、ついぞしてこなかった。

 

恵まれた時間を与えてもらったのに、

それを理解したつもりだったのに、

本当のところ理解できていなくて、

 

自分の失敗を認めたくなくて。

でも、たくさん本を読んで、周囲の話を聞くうちに、

ああ、自分は失敗したな。

阿呆だったな。と認めることができるようになりました。

そして、できることなら、もう二度とこんな失敗をしたくないです。

 

努力という時間を的外れなことに使いたくない。

小手先の雑事も追われたり、資格をとっても根本的な解決にはならない。

 

もっと遠くまで見通した時に、その行為が自分の未来とつながっているのだろうか。

今はそんなことを考えています。