皆同じ
今日、しばらく会っていなかった同期の友人と少し話をしました。
彼も、就職先に不安を感じていて、会社とは別に自分で色々と勉強しようと思っているといっていました。
皆、同じなんですね。
少しほっとしました。
自分ばかり焦っているような気がしていたんです。
不安
僕は、とても不安です。
将来に対して、漠然とした不安しかありません。
怖い。
この先、生きていける気がしないんです。
大学院まで卒業させてもらったのに、とっても不安なんです。
怖いんです。
僕は、仕事に愛情をもって、経済的ゆとりがある、
そんな大人になりたいのです。自分の事業を持ちたい。
目標を叶えるために、勉強もします。お金もためます。
でも、僕にできるだろうか、、なんて迷いがずっとそばにあります。
僕はずっと、自分の現実と理想を乖離させたまま、コンプレックスを解消しきれないまま、子どものような稚拙な劣等感を抱えたまま生きていかなくてはいけないのでしょうか。
嫌だなあ。
仕組みの中で頑張ることの意味-その2
就活が終わってからというもの、僕はずっともやもやしていました。
すごい会社から内定をもらった知り合いや、周りの同期の話を聞くと胸が苦しくなりました。
僕は自分のことを、「負け組」だと思うようになったのです。
それまで根拠もなく信じていた、ふわふわとした明るい未来が、永久に途絶えたような気がしたのです。
それからというもの、僕は色々な本を読み漁るようになりました。
今自分が持っている価値観の中に自分を当てはめると、人生が暗く感じられたからです。就活に上手くいかず、周りを妬む、そんな自分が嫌でした。
だから、考え方を変えたかったのです。
大きくて有名、年収が高い会社に入ることが大切だというなら、僕はずっと周囲に対して引け目を感じて生きていかなくてはいけない。
そんな人生を送りたくなかったのです。
だから僕は、のめりこむように本に没頭しました。
本の世界は、僕が過ごす日常の世界よりもずっと豊かで自由でした。
周りにはいないような多様な考え方をもった人がいて、惜しみなくそれらが綴られています。今まで考えたこともないような価値観を本は教えてくれました。
そして、思ったのです。
自分は本当に、せまい価値観の中に縛られていたのだなと。
当たり前だと思っていた学校教育。
当たり前だと思っていた働き方。
当たり前だと思っていた倫理観。
当たり前だと思っていた常識は、全て世の中の都合によって決められてきたもので、絶対の真理なんかでないということ。
同じ価値観の中にいるだけではわからなかった、異質の価値観に対する偏見と差別。
例えば、学校というもの一つとっても、
周りと上手くやれないものは人生の落伍者でした。
休学、退学なんてもってのほか。枠から外れたものは負け犬で、みじめな末路を送る。
僕はそうずっと思っていました。
きちんと与えられたことをこなす僕は、大丈夫。
でも本来の学校制度は、工業化が進んだ時代に、工場で働く上で必要な知識を詰め込んだ労働者を効率的に育成するために生まれたものです。
だから、お金の知識だとか、会社の仕組みだとか、そういう余計な知識は勉強させませんでした。四則演算と文字さえよめれば、それでよかったのです。
だから、学校の教育は完璧ではない。絶対の正義ではない。
誰かの都合によって作られた一つの型なのです。
当然その型に合わない人だっている。
それなのに、型に合わない人は駄目な奴で、
型に上手くはまっていられることが正しいなんて、誰が決めたんでしょうか。
僕は、わりと上手く型にはまっていられた方でした。
型にはまらない、一部の人たちを痛い人だと思っていました。
「青臭い、夢見がちな、恥ずかしい奴。
自分が上手くできないからって、世の中のせいにして。」
世の中が自分と同じ価値観だということに安心して、自分の正当性を主張し、
他人を糾弾していたのです。
そして、今。
就職活動が終わって僕は、
自分のその価値観に苦しめられることになったのでした。
仕組みの中で頑張ることの意味-その1
今日は、僕の思考がここ半年でどう変わったかについてまとめたいと思います。
というのも最近、周囲から「なんか前はもっとエネルギッシュだったけど、最近元気ないよね?どうして?」とい言われることが多くなったからです。
就活の疲れがまだ尾を引いているの?とか、キャラ変したの?と周りからは推測されているようです。
でも、その推測はどれも、あまりしっくりと感じません。
確かに、きっかけは就活だったかもしれません。でも、僕の様子が変わったとしたら、それは就活の疲れによるものではなく、これまでの自分とこれからの自分について、真剣に考え続けたからだと思います。
それを伝えたくて、思考を整理しようと思います。
修士1年の夏から僕は、就職活動を始めました。
やりたいことってなんだろう、ということがまず始めに浮かんで、
そんなものはないから、とりあえず高給取りになろうと思いました。
趣味もないから、激務だってへいちゃらだし。
そうすると、どうやらコンサルタントって職業があって、
そこにいくと知名度も高いし高級とりだし、
他の一般企業よりも裁量権があってかっこよさそうだ、
ここにしよう。
こうして僕はコンサルタントを第一志望にしました。
自分の中身は見ないようにしていました。
本当は僕は、コンサルタントがやるような仕事にはおよそ向いていませんでした。
データを見るのもいじるのもあまり好きではないし、
何よりあれこれ人にいうよりは、まずは自分でやってみたいタイプだったのです。
コンサルタントに進んだ先輩にも、「君はプレーヤー気質だと思う」と言われたのを覚えています。でもその時僕は、馬鹿にされていると感じました。
「コンサルタントという最高に知的でクールな仕事に従事して、その他のあくせく試行錯誤している事業会社なんて下に見ているくせに。どうせ僕が馬鹿そうだからそういうのだろう」
おわかりのように、事業会社を馬鹿にしているのは本当は僕の方でした。
馬鹿にすることで、自分は他の人間とは違う、かしこい人間なんだと思い込もうとしていました。
僕は、自分はかしこくて出来るやつだというふうを装いながら、
実は全く逆の自己評価をもっていました。
本当の僕は、容量が悪くて、機転も回らなくて、柔軟性もない。
そんな僕が、コンサルタントとしてやっていけるはずがない。
心の声は常に僕にそう訴えていました。
でも、高級そうな仕事、人からうらやまれたい気持ちばかりが先行していた僕は、
必死に自分という型を「コンサルタント」という枠に当てはめようとしました。
「大丈夫、本当は向いているはずだ、この仕事に興味がある」
時はすでに修士2年の春、
いまさら他の業界を見るなど、考えられもしませんでした。
わからないから、一つの業種にすがりついていました。
この顛末は、すでにブログで書いた通りです。
最後の最後でやっと僕は、「やりたいこと」を基準にして、
自分でモノ・サービスを作る側に回ろう、と思ったのです。
それが、今の内定先を選んだ理由です。
給料も高くありませんが、「知っている」「まともそうな」会社の中ではいちばん興味がありました。
■
小さな、ほんと小さな目標達成です。
今日、はじめて自分が書いた漫画をネットに挙げました。
かなり下手くそなんですが、自分としてはわりと満足のいく仕上がりになりました。
続きモノなので、きちんと完結できるように頑張ります。
さて、今日読んだ本のご紹介を。
最近、読む本といえばノンフィクション中心だったのですが、
どこかで見かけたブログに書いてあったコメントが気になって、久しぶりの物語を読みました。
「モモ」
著者:ミヒャエル・エンデ
知っている方も多い、ベストセラーですね。
僕はお恥ずかしながら、この歳まで読んだことがありませんでした。
「時間泥棒」の元ネタは、ここにあったんですね。
子供向けの童話ですが、大人にも向けたお話なのだと思いました。
人々から時間を奪い、効率化を強要する、灰色の男たち。
(会社のダウンサイジングで幅を利かせたコンサルタントたちを隠喩してるのかな?とちょっと思いました)
時間を節約することによって「心のゆとり」をなくした人々はいつもイライラして、自分の人生を楽しめなくなってしまう。本当に大切なものを自ら手放してしまう。
時間とは、生きるということ、そのものなのです。 そして人のいのちは心を住みかとしているのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。
僕自身、就職活動がおわってから、灰色の男たちと知らずしらずのうちに契約してしまっていたのでは、と思い至りました。
勉強は大事です。
でも、友達と話すこと、友達の悩みを聞くこと、親孝行すること、こうして漫画を書いたりすることも、僕の心にはなくてはならないものです。
焦るあまり、効率化を重視して、僕はイライラした人間になっていました。
少しまた、自分の考え方や行動を見直しながら、勉学に励んでいきたいと思います。
統計と人工知能
最近、いろんな所で耳にする「人工知能」。
IBMのワトソンや、身近なところではSiriなど、
かしこいロボットがどんどん出てきて、夢にまでみたSFの世界が近づいていると感じる人も多いのではないでしょうか。
僕も其の一人で、
ディープラーニング、なんだかよくわからないけどすごいな、
人口知能の頭脳のコアの構造で、めちゃくちゃ高度なプログラミングで出来ているんだろうな〜と思っていました。
ところが、最近自分の研究関連で統計の勉強を始めて、気づきました。
あ、なんだ、人工知能って、ようするに統計じゃん。
ビックデータ(=蓄積された膨大な生データ)から非説明変数(=マーケティングなら店舗の売上等)を説明するために、各説明変数(立地、延べ床面積等)から重回帰分析などの相関式をつくり、予測し、フィードバック(=実測値との誤差を確認)する。それを繰り返すことで、式の精度を高め、正確な予測値を出す。
そうすると、例えば
「お店のどこそこにAという品物がある時、店舗の売上が伸びる」
なんていう規則性を発見する。
人間がなんとなく直感でやってることを、ルールを発見してその通りに動くのが人工知能。ルールは統計分析の手法に基づき算出される。
今のところこういう理解です。
浅い知識ですが、人工知能って研究でもよく使う統計の延長なのか、
と思うとぐっと親しみが湧いてきませんか?
一応。最近読んだ統計の本をのせておきます。
僕みたいに、統計ってなあに?というレベルの人でも全体像が理解しやすい。
体系的にまとまっている本です。おすすめ。
著者の栗原さんのざっくばらんな説明が親しみやすいです。
入門 統計学 -検定から多変量解析・実験計画法まで
-栗原伸一 (著)